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生きて帰る

PB091619.jpg

命をかける出来事がありました。
弟のエーサと友達の舞踏家の舞ちゃんと一緒に屋久島へ行った時のことです。

【一日目】
最小限の食糧を持って、屋久島の中心である山頂に登りました。
夜から山を登り始めたので、ここが屋久島だ!って実感することなく、ひたすら懐中電灯の光を
便りに足元を照らしながら歩きました。
氣持ちいい朝を迎えるに相応しい場所をエーサがリサーチしていたので、そこにテントを張って、
日が昇ることの楽しみを待つ夜を迎えました。


【二日目】
朝。屋久島のイメージにはなかった、想像を超えた岩がみえました。
その岩を近くでみたい意欲のおかげでこの険しい山も、今日を乗り切れれば、楽しい思い出になると信じて
歩けました。

山頂を登り切り、登った時の感動は、寒さと疲労により感動を堪能する余裕はありませんでした。
なぜならば、山頂がゴールではないからです。

同じルートで帰るのはおもしろくないので、明日苦労しない為にも、下山するべく今日を歩き、
暗くなる前に テントを張りました。テントでは、底冷えに加え傾斜のある場所だったので、
みな上手に眠れず、しかし、そこそこ弱音を笑いに変える余裕も持ち合わせていました。


【三日目】
「昨日よりは楽だ」というエーサの言葉を信じ、夜明けと共に歩く、歩く。
いよいよ笑えなくなるくらいのジクザグの高低差に、各々心の内側に目を向けざるえない感じでした。
歩けば汗をかく。休めば、寒い。雨が降っている。寒い。けど動かないと寒い。
どっちにしろ寒くて、防寒具も間に合わないくらいで、足元もジュクジュク。
内側も外側も濡れてるから自ら動くことでしか体温を調節できませんでした。

“一生これが続くことではないんだから”と、モチベーションを奮い立たせてようやく言葉にできる。
そんな感じでした。

ようやく途中でみつけた山小屋で暖をとろうと薪をくべても、雨の湿気で火はなかなか起こらず。
かすかに火を起こせた時の感動は計り知れません。いかに火が大切かを強く強く感じました。

火を起こすために一酸化炭素中毒になりかねない煙と涙と湿気と一時間ほど粘った末、
自然にはあらがえないと悟った私達は、やはり歩いて前に進むしかなく。。。

命綱がなければいけない箇所をいくつも超えて、その時、道が間違っていたのに気づいたのだけど、
あの崖をつたう命綱を戻る氣になれなかった3人の意見が、戻らず、この道を行くという選択でした。
3人で来ているのに横並びで会話できない、人一人歩ける道でした。
かろうじて平地に近い場所があったので、夕暮れそこにテントを張りました。

【四日目】
深夜。寒さのあまり眠れず。しかし、体が休みたがっていたので、体寄せ合って体温を補いました。
洋服も靴下も汗と湿気と雨でビッショリが続き、手足がシワシワになってその皺の食い込みがジワリと痛み。
「生きて帰る」という目標を掲げて、朝を待たずに牛の刻と同時に引き続き下山に挑みました。

食料ももう一日前にはなくなっていたので、雨水でのどの渇きをしのぎ、水を飲んだらおしっこをしたくなるし、
その際、体温を奪われるので、水を飲むタイミングや量を自分なりに調節しました。

真っ暗闇の大雨の中、傾斜の険しい山と谷を昇ったり下ったりを十数回繰り返し、
もう登山道とは到底いえない獣道を、木に巻いてある蛍光のピンクの紐を便りに歩きましたが、
度々、劣化したピンクの紐がなくなっていて、次に行く場所が分からなくなって、途方に暮れそうに
何度もなりました。
正直、年の数ほど心が折れました。が、どうしかこうにか次につながる紐を探し出し、努力が実り、下り際、
森の合間から人工物(橋)が見えた時、希望の灯が灯った感覚で、歓喜しました。
地上に対するあこがれを抱きました。

下山。安堵もつかの間。
この下山道は、下山したとて何キロか歩かないと、人に会う場所に到達しないような場所。
どっちに行っていいかわからなくなったその時、一台の車がきたので、その人に最寄りのバス停を尋ねると
バス停まで連れて行ってくれて、ありがとうございましたのあと、3分後に数時間に1本のバスに
ナイスタイミングで 乗れました。

第二のくつろげると思った安堵の瞬間。
よくみると、みんなに蛭が各10匹ばかりついていて、ビックリするのも労力使うから、あとで取ろうと思ったくらい心身、疲れてはいたけど、確かに、静かに漲る生命力の火か点火したのを感じました。

自宅に帰ると、遭難届けを警察に届けたと聞きました。
生きて帰ることの大切さが痛いほど胸に響きました。
おかげさまで両足の凍傷だけで済みました。

今回、とても私にとって大きな学びがありました。
それは、「焦らないこと」です。
私は手術後、お腹を三か所切った部分の違和感をぬぐい去れずにいました。
エーサと舞ちゃんのペースに合わせて焦っていたら、かえって自分のペースを崩し、
二人に迷惑がかかるのを感じたので、遅くても一歩一歩丁寧に歩き、無事に帰還することに
絶えず意識を置くことを身を持って体験させてもらいました。
幸い多少の怪我はあったけれども、一人も欠けず無事に帰還することができました。

焦ってもいいことないって身を持って体験したおかげで、「今」を生きる集中力が強くなったと感じます。
きっと、その「今」を生きることが、これからのの大切なキーワードだと感じました。

命ギリギリで、手元にカメラをぶら下げることができず、あんまり写真が撮れませんでした。
あんなに苦しかったのに、写真はどういう訳か穏やかです。



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下薗詠子

Author:下薗詠子
■下薗詠子オフィシャルサイト
shimozono115.wix.com/homepage#

■2010年初の写真集「きずな」
第36回木村伊兵衛写真賞
2010 Visual Arts Photo Award大賞を受賞


■鹿児島県いちき串木野市出身。
1979年2月27日生まれ。


■19才より、雑誌を中心にCDジャケット等で著名なミュージシャン・俳優・アーティスト・オリンピック選手など、国内外で数多く撮影。


■コンタクト
撮影や取材等のご依頼、お問い合わせはこちらまでお願いいたします。

shimozono115@gmail.com

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