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写真は、光と闇の事象で出来ている。
わたしは、光だけ。闇だけ。という世界を今のところ観たことがない。

以前、写真集を出した時、「光の闇」「闇の光」「光と闇」という3章で構成した。
光がなければ闇は存在しない。闇しかなければ光さえ存在しない。
光と闇の共存こそ、心の安定に結びつくと思うのではないかと。
己の魂の陰陽のバランスをとるためにも必要なプロセスだったのだと振り返る。

両方の歩み寄り、受け止めようという姿勢がどれほど大切かを、今もなお思いが尽きない。
なぜならば、心の器を大きくしようと光を求めれば求める程、闇も大きくなる。
繊細に向かい合うほど、小さな引っかかりが氣になって、心の中に置いて大きな障害となる。

闇を照らすことで、自分の、人や風景や社会の様々な問題や改善すべき箇所が浮かび上がる。
いよいよがっかり落胆することもあるけれども、照らされることによって、今後改善する課題がみえてくる。
これは、神様からの宿題だ。

わたしは想う。洞察力を磨けば磨く程、美しさもみえてくるが、それと反比例するものもみえてきて、
どちらかしかみえてこなければ、どちらかに寄ってるの時期なだけだと。
やじろべえみたいの振り子のように、バランスよく右と左に揺れていて、中間を保つ難しさ・・・。

光と闇のグラデーションの比率により、生き方がどっちに傾いているかを知る。
中道を学ぶために、いろいろ試して、その時その時にしっくりくる作品を作る姿勢で取り組み、
言葉にはできないしっくりがみつかったら、(闇なら闇でしっくりすれば氣持ちが晴れるので)
それを良しとし、しっくりこなさに悩み、苦しみ。

しっくりくる何かを求めて、ピースを探す。
その成長するプロセスも含め、写真という形で現す。
なので、私と逢った人は、光の印象を持つ人もいれば、闇の印象を持つ人もいる。
出逢って関わった時期にもよる。
どっちもあるので、どう見られても良いと思うのは、みる人の光と闇の配合にもよるだろうから。

その光と闇の配合は、調香師のように、微調節しながら、求める香りをみつける作業と似ている。
経験を積む程に、メモリは細かくなり、時に鼻が利かなくなり、いったん鼻をリセットして再度取り組む、
そのような作業を眼を通して行っている。

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下薗詠子

Author:下薗詠子
■下薗詠子オフィシャルサイト
shimozono115.wix.com/homepage#

■2010年初の写真集「きずな」
第36回木村伊兵衛写真賞
2010 Visual Arts Photo Award大賞を受賞


■鹿児島県いちき串木野市出身。
1979年2月27日生まれ。


■19才より、雑誌を中心にCDジャケット等で著名なミュージシャン・俳優・アーティスト・オリンピック選手など、国内外で数多く撮影。


■コンタクト
撮影や取材等のご依頼、お問い合わせはこちらまでお願いいたします。

shimozono115@gmail.com

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